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泰弘さんの【追憶の記】です・・
大東亜戦争前後の遥かに遠い遠い・・子供の頃を思い出して書いております・・
06 | 2020/07 | 08
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忘れかけの内子町風景・・⑬ 巡洋艦「出雲」艦長・重岡信治郎閣下
 私が思い起こしますと、終戦の3ヶ月前に松山の空襲の頻発を逃れて、小学2年生の時、内子国民学校へ疎開転校して来て以来、入学式、卒業式の時には、必ず校長先生挨拶の次に、モーニング姿、又ある時は羽織袴姿の矍鑠(かくしゃく)として、鼻ヒゲが八の字の老人が、来賓として祝辞を披露されるのが常でした。

((img_12
当時の内子小学校

「あの爺さんダレぞ~?」「あの鼻ヒゲの爺さん、誰ぞ~?」
「あれは八幡さまの近所の爺さんじゃ・・」などと、ボソボソ云っていると・・
『シィ~・・
重岡中将閣下さんじゃ・・』と周辺の上級生が、口に人差し指を当てて合図しながら小声で伝達してくるのだ。
 こうして誰もが「重岡中将閣下」の名前を、自然に覚えてしまったようです。
 子供らでさえ「重岡中将閣下さん」と敬意を込めて呼称しているのですから、戦後とは言え町内の人々は、当然のように崇めていたのです。


((重岡_Nobujirō
(((




 「重岡中将閣下」は、内子町本町4丁目出身の「重岡信治郎氏」だったのです。
 同級生で内気でシャイな女の子、重岡照子ちゃんのお爺ちゃんだったのです。



 重岡照子さん(内子高校アルバムより)

 終戦直後のことですから、重岡信治郎中将がどのような方であるのか、先生からの説明は全く無かったのです。

 
【重岡中将閣下】=大将の次の位じゃないか! 只者じゃないぞ。 
 検索してみるか?・・・
ア・リ・マ・シ・タ・!


 愛媛の山奥の、小さな町の周辺の者が、恐れおののいていた筈です。

 【秋山真之】が明治43年(1910)に艦長を務めた巡洋艦「出雲」の艦長を、重岡中将が大正12年(1923)に拝命し、更に重岡中将は後に海軍潜水学校の校長に赴任するなど、潜水艦に関連しての帝国海軍の権威でもあったのです。

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帝国海軍巡洋艦「出雲」(9750t)

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大海深く海もぐり・・・「重岡信次郎(1879~1971)」海軍中将、明治38年(1905)日本に初めて潜水艇が採用されて以来24年間、潜水艇の建造から乗員の教育に至るまであらゆる潜水艦関係の要職を歴任した。
衆議院議員7回・重岡菫五郎の甥にあたる昭和46年(1971)1月に内子で逝去。93歳
伯父、重岡菫五郎(1862~1906)は明治時代の政治家衆議院議員に7回当選、明治39年(1906)6月に死去


重岡信治郎が巡洋艦「出雲」艦長時代に「帝国練習艦隊」として「出雲」「八雲」「浅間」の3艦で太平洋を横断、アメリカのサンディエゴ、カナダのバンクーバーを親善訪問しております。

((重岡中将
● その時の「記録記念誌」が残っておりました。
https://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/97446a3e4a64cc4000b89a1cd9830fb1より
((重岡035ad
大正13、14年「練習艦隊巡行記念」誌

「これは出版された本じゃなくて航海に参加した人に配布された記念誌のようです。
つまり出版されたわけではないので、ものすごく価値があるものですよ」

との書店の評です。


((重岡bb
海軍大佐七田今朝一  海軍大佐鹿江三郎  海軍大佐重岡信治郎
海軍中将百武三郎  海軍中将古川三郎
海軍機関大佐吉岡保貞  海軍軍医大佐石黒順二  海軍中佐日暮豊年

((重岡・練習艦隊8e3a
巡行前の記念写真・司令官と各艦長及び幕僚
前列中央・百武三郎司令長官の左が浅間艦長・七田今朝一大佐、
左端が八雲艦長・鹿江三郎大佐、
前列右端が出雲艦長の重岡信治郎大佐である。

((重岡出雲a4e
軍艦「出雲」の准士官以上の記念写真
前列左から4人目が重岡信治郎艦長

((重岡出雲総員cc62
軍艦
「出雲」乗組み総員の記念写真(後方甲板)

((重岡出雲総員ac2.
軍艦「出雲」乗組み総員記念写真の一部

((横須賀出航
さらば!太平洋横断に向けて横須賀軍港を出発・・

((重岡横須賀出航131110
いよいよ航海の途にのぼる、左から巡洋艦出雲、八雲、浅間

((重岡サンディエゴ砲台から見た「八雲」「浅間」「出雲」
米・サンディエゴ港に於ける寄港の三艦艇(
サンディエゴ要塞より)

((重岡バンクーバー訪問96c65
バンクーバー市長との記念撮影 
場所は裁判所前の階段)

中央が百武三郎司令、その左がバンクーバー市長。

左端浅間艦長・七田(ひつだ)今朝一大佐、右端八雲艦長・鹿江(かのえ)三郎大佐、

後列左端出雲艦長・重岡信治郎大佐。



(次回は「重岡中将閣下若き日のアルバム」を予定しております)



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忘れかけの内子町風景・・⑫ 本町4~8丁目界隈の風情
 明治時代までの内子の街道筋は犬寄峠、中山を通り護国から八日市、坂町、本町中町、郷の谷、駄場を通って新谷、大洲、宇和島へ通じていました。

 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。
 昔から内子の町は周辺の農家からの日用品や農業道具の調達のために、山間部の小さな町でありながら結構賑わっていたのです。

(((4-1958本町4
内子・本町4丁目 (昭和33年1958)(▼同一アングル▲)

(((4-2019植木
内子・本町4丁目(西から)(2019)

(((4-下12983
内子・本町4丁目 下芳我邸(2015)

(((4-下cbf6671
内子・本町4丁目 下芳我邸 (2017)

(((4-下芳我5
内子・本町4丁目 下芳我邸(東から)(2017)

(((4下芳我本29
内子・本町4丁目 下芳我邸(東から)(2014)

(((4-1960本町4
内子・本町4丁目 本町を象が歩いた日(1960) 

(((4-1922魚市場中町
内子・中町にあった「内子魚市場」(1914)(▼同一アングル▲)

(((4中・魚市場19
上の中町「内子魚市場」のあった付近 (2019)

(((5-内子銀行1914
内子・本町5丁目・内子銀行の頃(1914)

(((5-1960本町5
内子・本町5丁目伊予銀行前から西を望む(1960)


(((5-伊予銀内子1970
内子・本町5丁目・昭和40年頃改装された伊予銀行内子支店 (1995)

(((5-伊予銀行909
道路面から後退して改築された伊予銀行内子支店  (2017)

(((5平常旅館設楽1980
内子・肱川町に在った3階建て「平常旅館」(設楽家)
昭和30年ころから「ヤマサン」が別館として使用した。(1956頃) 

(((5在りし日の五要旅館
他に「泰平旅館」「ヤマサン旅館」「松の屋旅館」があった。

(((5本町1930
内子・本町5丁目 松尾百貨商店  (1928)

(((5-1930本町5
内子・本町5丁目 松尾蓄音機店  (1932)

(((6二宮病院
内子・本町6丁目 開院頃の二宮医院  (1926)
(((6二宮医院2012
内子・本町6丁目 二宮医院  (2012)

(((町田医院跡2019
左に見える「二宮医院」を北に行くとすぐ「町田内科医院」があったが跡地の街灯に看板のみ残っている。他に「小川医院」「佐野小児科医院」「芳我医院」等が有った。(2019)

(((6町村合併記念マラソン二宮55
内子・本町6丁目 二宮医院前 (昭和30年1955)
町村合併記念駅伝競走

(((6内子町消防団58
内子・本町6丁目・消防団の訓練 (昭和33年1958)

(((7内子七夕28年
内子・本町7丁目の七夕   (昭和28年1953)

(((8本町81965
内子・本町8丁目・舗装側溝工事(昭和40年1965)▲同一アングル▼

(((8-2019・8丁目3)
内子・本町8丁目   (2019)

(((8神山いなりや看板
内子・本町8丁目・・いなりや看板 (2019)
今日は内子へようおいでたなぁ・・
まぁ、いなりやへはいんなはれや~
うまいもんでも食べてゆっくりしておいきや・・
待っとるけんな・・

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コロナ・東京のみ異常!抑え込み失敗にならぬよう願う・・
コロナ・ウイルス感染者数の傾向線で【東京都】のみを判断しておりますと、移動平均線で見る限り異常過ぎる傾向を見せ始めております。

この状態で判断しますと明日は200人か・・300人かとも予測され、いよいよ第二波へひたすら突っ走っている動きに見えてきました。

ここらで【東京アラート】の発令をしないと手遅れになる気がしてなりません。


((IMG_320
コロナ感染者【移動平均】で傾向を掴め・・


忘れかけの内子町風景・・⑪ 本町1~3丁目界隈の風情
 明治時代までの内子の街道筋は、護国から八日市、坂町、中町、郷の谷、駄場を通って新谷、大洲、宇和島へ通じていました。

 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。
 昔から内子の町は周辺の農家からの日用品や農業道具の調達のために、山間部の小さな町でありながら結構賑わっていたのです。


(((本町1栄橋20150511
  郷の谷川を渡る「栄橋」から1丁目を見る (2008年)

(((本町1・2017

(((郷の谷上
内子本町1丁目 栄橋から郷の谷川上流を見る  2019


(((本町1燈篭t02


(((恵比寿市1955

IMG_3278
栄町周辺(通称・新道と言われていた) 昭和34年(1959)

((1962郷の谷
内子・栄町から郷の谷付近を望む・・遠方に内子座の屋根 (昭和37年1962)

((1962恵比須d
郷の谷から恵比須神社(左上)が見えてました(昭和35年1960年)

(((s30松の屋前
内子・本町2丁目の雨上がり・・地道の道路 (昭和30年1955)

(((本町2ー10
内子・本町2丁目   (2010)

(((2012松の屋前14
内子・本町2丁目   (2012)


(((2019 本町2松の
内子・本町2丁目   (2019)

(((2013本町松の屋
内子・本町2丁目「松の屋」前から西を見る。右折れ内子座へ (2013)

(((本町3-1989
内子・繁華なころの本町3丁目   (1989年)

(((2019本町3
内子・本町3丁目   (2019)

IMG_3280本町4
本町も地道から舗装道路工事へ・・昭和40年
(1965)

(((本町4・2019(3)
内子・本町3丁目   (2019)

(((本町4・1956
内子・本町の七夕かざり   (1956年)

(((七夕盆
内子・本町の七夕かざり   (1965年)

(((七夕2
お提灯ぶらぶら・・おかごへ参りましょ・・と歌ったような(2005頃)

(((笹祭り
内子・本町の七夕かざり   (2015年)

(((y1953まで郵便局
「化育小学校」として建設され、明治17年生まれの祖父も通学したとの事。
以後、内子郵便局、内子電々局、内子農協を経て現在「内子児童館」
(写真は昭和初期のもの)


(((y郵便化育1970
「内子農業協同組合」時代のもの (1970)

(((y郵便84_1
内子児童館 (1984年)

(((y旧・内子尋常小学校(内子児童館
内子児童館 (2017年)

((内子警察17
左は元「内子警察署」と「内子児童館」(2017)

(((uchiko_keisatsusho_image
「内子町ビジターセンター」は元「愛媛県警 内子警察署」
(昭和11年建築)

(((中町広より1979
内子町中町の風情 広町より西を見る(1979年)


(((中町町内寸描2014gles
内子町中町の風情 広町より西を見る(2014年)

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((IMG_320




忘れかけの内子町風景・・⑩ 坂町の町並み
 明治時代までの内子の街道筋は、護国から八日市、坂町、中町、郷の谷、駄場を通って新谷、大洲、宇和島へ通じていました。

 古い町並みを丁重に残しているあの内子町でさえ、知らず知らずの間に、町の発展に伴い風景は様変わりしていったのです。

((A0坂町1内子
八日市を南へ行くと桝形があり、直ぐ下り坂の坂町となる 2014


((A1坂町2枡形1979
坂町の家並み・坂町を登り切ったところ・桝形 1978年(▼同じアングル▲) 
ココから向こうが八日市。

((A1坂町AA
坂町の家並み・・坂町を登り切ったところ・・桝形を通って八日市へ 2017

((A2坂町2
坂町の家並みを南から・・坂町を登り切ったところ・・桝形  2019年

((A3坂町5
坂町の家並みを南から・・坂町を登り切ったところ・・桝形  2005

((A4坂町2017
坂町の家並みを南から・・  2011

((A5坂町24
坂町の家並みを南から・・  2017

((A5坂町2015
坂町の家並みを南から・・  2016

((B6坂町大森3
坂町の家並みを南から・・  2010

((B4坂町99
坂町の家並みを南から・・2014

((B3坂町森文
坂町の家並みを南から・・ 2010

((B3・2011坂町
坂町の家並みを南から・・  2019年

((U坂町90
北から見た坂町の家並み・・  2012

((U2坂町上75
北から見た坂町の家並み・・  2015

((U1坂712
北から見た坂町の家並み・・ 2014

((U坂町上から
北から見た坂町の家並み・・   2017

((U坂町2019
北から見た坂町の家並み・・右の白塀の中は金光教会  2019

((b7坂町金光教会
金光教会  2017
((U坂町779
北から見た坂町の家並み・・  2014

((U坂町947
北から見た坂町の家並み・・  2016(▲同じアングル▼)

((U坂町S
北から見た坂町の家並み・・  1980年

((U9-2013坂町
北から見た坂町の家並み・・  2013

((坂町森文
坂町の家並み・・  1980年

((U坂町
北から見た坂町の家並み・・  2014


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((IMG_320





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